「竹内先輩」に見る時系列の危うさ

 歌を聴いて、その歌詞の内容を理解しょうとすると、歌の世界が破綻していることに気づくことがある。

 「東京音頭」で「花の都の花の都の真ん中で」と歌われる時、「花の都」は「東京」であるから、「東京の東京の真ん中で」と書き換えると、「東京音頭」なのに「東京の真ん中」を歌うのはおかしいと、子どもの頃から感じていた。私の勘は当たっていた。この曲はもともとは「丸の内音頭」だったのだ。

 さて、「竹内先輩」である。STU48の2期生の公演をオンデマンド配信で見ていた時、この若くて切ない曲に身震いした私であるが、冷静に分析すると、この歌詞はおかしい。

 ・竹内先輩はサッカー部で2コ上の先輩である

 ・バレンタインのお礼に誘ってくれた

 ・竹内先輩は東京の大学に行ってしまう

 ・まだ先のことなのに不安になる

 竹内先輩は高校3年生で、「私」は1年生でしょ? バレンタインのお礼といえばホワイトデー。3月14日ならば、竹内先輩が東京の大学に行くのは「まだ先」とは言えないのではなかろうか。というよりも「すぐそこ」まで来ているといえる。

 無理にこじつけると、バレンタインのお礼に誘ったのは一ヶ月後ではなく、翌日あたり。大学の入学まで一ヶ月半ある。夏休みよりも長い。だから高校1年の「私」は強がりをこめて「まだ先」と言ったのか?

 この歌はSTU48に書き下ろしたものではないが、秋元康STU48に書いた詞には、時系列が理解できないものがたんまりある。最初の「瀬戸内の声」からしてそうだ。ひまだったら、どんどん掘り下げて行きたいが、やっぱり無粋だあよなあ。こういうのって……。