牧師になろうとする若者

 牧師になろうとする若者は、どこまで聖書を信じているのだろうか? 私はマザー・テレサの活動を、「宗教オタクによるオタ活動」と呼んでいる。コルベ神父もそうだが、こういった人々は、聖書に書かれたことをすべて事実として受け入れていたのだろうか。

 親鸞の言葉を弟子の唯円が記録した「歎異抄」によると、親鸞阿弥陀経をとことん信じていたようである。現代ではほとんどのお経が釈迦の死後に書かれたものとわかっており、有り難みも薄れてしまうのだが、親鸞は幸せ者である。

 浄土真宗のお坊さんは極楽浄土の存在を信じているのかなあ? 「あれはフィクションです」なんて言ったら、商売にならない。葬式に出てる遺族なんかも、「うちの婆さんとは極楽でまた会える」とは思ってもいないだろう。なのに適当にお坊さんの話に相槌を打つ。

 何か、色々と体面を取り繕ってごまかしているような気がする。その点、神道は楽だ。そもそもが適当だもん。お稲荷さんの使いがキツネなのはいいとして、多くの人はキツネがお稲荷さんだと思って拝んでいるし。ほんま、楽でええわ。