風邪をひいた件

 金曜日、病院に行って「熱はないけどのどが痛くて痰が出る」と症状を訴え、処方箋を書いてもらった。しかし、その後、咳と熱が出はじめ、夜は眠れなかった。どういう風に眠れなかったかというと、鼻が詰まっているのに、口で息をしようとすると痰が邪魔で呼吸困難、という状態が続き、意識的に息を吸ったり吐いたりしないと上手に呼吸ができない感じだったのだ。横になると息苦しく、上体を起こし、床に敷いた布団に座ったまま、椅子に突っ伏す、という体勢で夜を過ごした。うとうとしようもんなら、すぐに息ができなくなる。大袈裟ではなく、そんな感じだった。でも、朝になったら横になって眠っていた。

 呼吸困難で眠れずに苦しんでいる時には、「死ぬのか?」との考えがよぎったのも事実。呼吸困難って辛いっす。

 

握手会(8月26日)

 今回は総選挙もあったので、CDは多めに買ったのでした。まずは3部から。

 石田みなみさんには、「うちの母も茶碗蒸しが好きなんですけど、茶碗蒸しの日はおかずがなくて、茶碗蒸しが3個ぐらい出てくる。助けて」と訴えた。

 神志那結衣さん(HKT48)はさぞかし美人だろうと思って行ったのだが、期待が大きい分だけ、そうでもないような気がした。俺はいつからこんな贅沢を言うようになったのか。「昼ご飯のアドバイスをください」「カレー」みたいな会話。

 瀧野由美子さん。「私は高山和彦という者ですが、小学校の時『たこ』と言われたことがあります」「私も瀧野由美子だから」という感じ。名前の最初が「た」で最後が「こ」なので。小学生が考えることは広島も山口も変わりません。

 ここでカレーを食べようと思ったのだが、コンビニで買ったあんこの入ったお菓子を食べただけ。神志那さんのアドバイスを生かしてない私。そして4部。

 今村美月さん。彼女の好きな白シャツで行ったが、そのことには触れず。

「チャリティーコンサート行きます」

「どこですか?」

「大阪と福岡」

「夜の部?」

「昼です。広島から通うので」

 ニュアンスとしては、夜の方がお勧めみたいに聞こえたのだが、気のせいか? 昼の部は無意識に体力を温存してしまったりして。変な邪推はやめておこう。

 薮下楓さん。「個握(個別握手会)は初めてです」と言ったまでは覚えているが、あとは忘れた。

 瀧野由美子さん、再び。

JR東日本の接近音楽が、『たきの、たきのゆみこ~』に聞こえるんです」

「おもしろい」

 たぶん、面白くなかったんじゃなかと思います。しかし、歌手で音大生の瀧野さんの前で歌を披露した自分を褒めたいです。

 5部になりました。

 門脇実優菜さん。

「痩せろ、って言ってください」

「痩せろ」

「もっと強く」

「痩せろ!!」

「はい、痩せます」

 しかし、立ち去る私に門脇さんはこう言った。「今のままでいいじゃないですか。別に痩せなくたって」。今回の大収穫です。

 溝口亜衣子さん。あまり期待してなかったので、この人は意外に美人に見えた。

「なんで私なんですか」

「いや、何となく」

 これじゃいかんと思い、「チャリティーコンサート行きます」

「絶対見つけます」

 無理だと思いますけど……。

 瀧野さんの券を使って、押し増しで森下舞羽さんのところへ。隣は矢作萌夏で大行列、一方こちらは過疎っていたので、義侠心が働く。

「僕より背が高い?」

「?」

「165cmだけど」

「161cm」

「そんなもんか。もっと伸びたらモデル体型に磨きがかかりますよ」

(ここで右手を腰に当てて視線をそらし、モデルっぽいポーズ)

「頑張ります」

 頑張ってほしいもんである。

国語便覧

 数研出版の「プレミアムカラー国語便覧」をamazonで買った。2018年の第3版である。著名作家の代表作のあらすじが載っているので、読んでない作品を語るのに便利である。ただ思ったより大きな本で、B5版ぐらいはある。旅のお供には不釣り合いなのが残念だ。

 

昨日の出来事など

 新幹線で東広島に行き、そこから芸陽バスに乗って安芸津に向かおうとしたら、「蚊無の片側通行の区間で鉄板が崩落して通行止めになり、バスの営業はここまでです」と言われた。仕方がないのでタクシーで向かった。7470円した。鉄板のバカヤロー!

 途中、安芸津市民グラウンドの脇を通ったのだが、災害ごみでいっぱいだった。流し台とか洗濯機とか……。水に浸かって使えなくなったんでしょうね。

 久しぶりに実家に帰る。家に帰る最短距離の道が(車両)通行止めだった。オジさんの家が水に浸かって、もう住めなくなったらしい。まあ、借家だったので、とっとと引っ越したそうだ。

 そして今日は芸陽バスが営業していたので、無事に安芸津から東広島に行った。田んぼの上の流木とか、あちこちで起きた土砂崩れの様子とか、痕跡を見ているだけで大変な災害だったことがわかる。

40年後、私はこの世にいない

 先日、STU48今村美月キャンディーズの「やさしい悪魔」をshowroomで歌っていた。今村は2000年生まれ。「やさしい悪魔」は1977年の曲。生まれる20年以上前の曲を知ってて歌えるだなんて大したものだ。

 そこでふと思ったのだが、今のSTU48の曲を20年後に生まれた女の子が、20歳ぐらいになって歌ったとする。私はその頃、もうこの世にはいないんだろうな、と思うと切ない。

 ちなみに私が生まれる20年前は戦争の只中、その頃の歌といえば軍歌ばかりなんだろうけれど、そういえば歌えるなあ。

白洋舎

 近所のタバコ屋が白洋舎のクリーニング屋に様変わり。この前の日曜日、あまりにも暑く、行きつけのクリーニング屋まで歩くのが面倒だったので、つい利用した。

 元タバコ屋のおばさんは高齢なので、タッチパネルの扱いが遅い。まあ、そのくらいは想定内なのでいいのだ。白洋舎は値段が高いのだが、それも承知の上。ところが、29日に出して仕上がりが、30日、31日をはさんで1日となる脅威の事実! 白洋舎の親会社である「きょくとう」だと即日か翌日。これには困った。出したのは長袖のワイシャツだったので、本当は別に困らないのだが。

 でも、昔はこれくらいが普通だったような気がしないでもない。便利さに慣れてしまったのでしょうね。